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日岡神社について

播州・加古川唯一の延喜式内社

御由緒

日岡神社の由緒

昔の写真

御祭神

【主神】
 天伊佐佐比古命
(あめのいささひこのみこと)
第7代孝霊天皇の皇子。亦名を「彦五十狭芹彦命」と申し、
第10代崇神天皇の御代に北陸、東海、西道、丹波に派遣された「四道将軍」の1人。
吉備津彦命であるとも云われている。
【相殿】
 豊玉比賣命(とよたまひめのみこと)
 鸕草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
 天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)
 市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)

境内写真

御由緒

当社は、奈良時代第四十五代聖武天皇の御代、天平2年(庚午年、西暦730年)の9月丙午の日に創建されたと伝えられています。
延喜式の制、小社として加古川市で唯一列せられています。(延喜式内社)
江戸時代には武門の崇敬を受け、板倉京都所司代から黒印領を賜りました。
創建当時は正一位日向大明神と称しておりましたが、明治7年(1874年)郷社に列せられ「日岡神社」と改めました。
古来から安産の神さまとして近郷に名を馳せる播州随一の大社です。

日岡陵宮内庁治定

播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめのみこと)
第12代景行天皇の皇后。櫛角別王(くしつのわけのみこ)、大碓命(おおうすのみこと)、小碓命(おうすのみこと)、神櫛王(かみくしのみこ)の母親とされる。
稲日大郎姫命が双子(大碓命、小碓命)を身籠もった際、当社の御祭神「天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと)」が七日七夜祈願をし無事安産でご出産されたと云われる。(亥巳籠起源)
無事に出産された双子の一人、小碓命は後の「日本武尊(やまとたけるのみこと)」である。
※その由縁により、当社は播磨随一の安産の神様と信仰されています。
※毎年6月24日に「正辰祭」が宮内庁職員奉仕により斎行されています。

「ひれ墓」伝承

皇后が亡くなられた時、日岡山へ葬るため遺体を乗せて印南川(加古川)を渡っていた時、大きなつむじ風が吹いて船は転覆しました。後に「ひれ」と「くしげ」だけが見つかり、これを葬ったので「ひれ墓」とも呼ばれています。『播磨風土記』より

※「ひれ」は「領巾」または「肩巾」と書きます。女性の服飾具として用いられ、首にかけて左右へ長く垂らした織物のこと。

※「くしげ」は「櫛笥」と書き、櫛などの化粧道具を入れておく箱のこと